世界遺産にも指定されているイエローストーン国立公園は、アメリカで最初にナショナルパークとして設立された地域であることでも知られていますが、1872年というと130年も前。まだ現在のような内務省管轄の国立公園管理局という存在もない中で毛皮を求めて密漁をするハンターたちを軍隊が取り締まったという所期の話もあります。まだ白人が北米大陸に入り込み侵略行為を始める前には先住民の幾種かの種族(ショショネ、クロー族など)が、神の宿る地として恐れ敬っていたエリアでもありました。地球の半分以上(3分の2という説も)の間欠泉が終結する世界でもっとも「熱く活発な」地質が訪れるものを圧倒します。
この地域で見られる「美」は静かな美ではなく、躍動感溢れる動の美です。常に活動を続けている地表下のマグマのメガスケールの動きが身体をつきぬけるように感じられます。道の脇に立ち上がる蒸気、川に流れ込む温水、そして大きく口を開けるようにして鮮やかな色を魅せる間欠泉。ミネラル(鉱物)分が長い年月で蓄積されて様々な形を作り、それぞれが生き物のようにキャラクターを披露しているところも多く観られます。 間欠泉の数は2万を越えるといわれますが、大小の様々な形のガイザーたちが常に温水を吹上げたり、蒸気を吐き出したりしている姿が、目に突き刺さるようです。常に温水を吐き出すように動くものから数分おき、数時間おき、中には何十年に一度などという「周期」で地表面を賑わせているようです。
私にとっては10年ぶりくらいの訪問となりましたが、有難い仕事のついでに寄ることを許されました。以前とは表情が変わっていると分かるほどに形が変わっている(ミネラル分で蓄積された形状が生長しているもの)ものも少なくありませんでした。広大すぎてまとめることは困難ですが、いつか写真集として是非紹介したい地域の一つとして今後も機会を作っては訪問させてもらおうと思っています。
大地の躍動感溢れる表情の多くが、地球の表情の多様性をもって迫ってきます。そして、それら一つ一つが、私たち人間が忘れかけているものを思い出させるチャンスを与えてくれているように私は考えます。
まだ昨年の草が枯れたままの状態で黄色いサンドシート地域は砂漠といっても植物が生息できる限られたスペース。6月も末に入ろうとするこの時期には根元から新しい緑の葉が伸び始めている。そしてそれら多年草が葉を大きく広げる前に花を咲かせ始めているサボテンたちの姿が印象的だった。植物がやっと根をはれる地域は多くの種類が群生、共存しているが、その中でも砂漠にふさわしいアダプテーションをしているのがサボテンたちである。とげを体中に張り巡らしている姿。長いとげや短いとげ。太いとげや毛のように細かいとげ。コロラド南部のサボテンたちの背丈はそれほど高くなく、地面(砂面)に広がるようなものが多い。背丈はせいぜい砂面から20センチ位あれば高いほうであろうか。同じ砂漠地帯でも、
コロラドよりも南西部に位置するアリゾナ州などには背丈が4〜5メートルにもなる巨大なものもある。またのっぽでないものでも丸太のような塊にもみえるサボテンさえある。土地それぞれの土壌(砂の成分)や気候がもたらす水分、気温、日照条件などが、それぞれの形体や大きさを決めさえているのだろう。
これらサボテンたちも、他の野草たちと同様に開花の時期が、暗黙の了解で決められているかのようにあるらしい。この左のサボテンは既に花をほぼ咲き終えているが左下と右上のサボテンはこれからが開花の時期になる。色、形、大きさもそれぞれで、地味ではあるが見ていると楽しくなる。この左のサボテンは石の間などに生えている小さなもので、足場を気をつけないと踏みつけてしまうくらいだが、他のものは石のない砂地でも群生しながらはえている。限られた雨量や露からの水の補給をそれぞれ管理しながら地道に生きている。
砂漠というとどうも生き物がいないように思われるが、これらサボテンが開花する時期には虫も増え始める。蚊や虻、蚋という人間が入り込むと容赦なく血を吸いに集まる連中も多いが、献血はともかくも、残していくあの毒には閉口する。痒くて、痛い。特に蚋に刺されたものは1ヶ月しても跡が消えない。虫が増えるということは、それらを食べる他の虫や鳥が集まる。そして野草の葉や実を食べる哺乳動物とそれらを捕食する猛禽類や肉食の小動物たち。砂漠地帯であっても近くの森からミュール鹿やエルク大鹿が訪れて草を食べる。高原の平原地帯に生息するプログホーンたちも訪れる。
砂漠というと死の世界と先入観を持っている人が少なくないが、季節を通じて様々なドラマが繰り広げられている。
それにしても湿度が一桁%で風があり、紫外線が強い日射がある。水をどれだけ持って行っても脱水状態になる気候。虫除けクリームを塗っても刺してくる虫たち。三脚を担ぐ手の平の皮がかさかさになり、白く粉吹き芋のようになる関節部分の皺。私には過酷な環境なのかもしれないが、写真撮影という魅力とともに、何度痛い(痒い?)思いをしても行きたくなるのは、いつ行っても何かを見せてくれるという期待があるからであり、また写真を撮らせてもらえる楽しみ、そして何よりも自然と接することによって得られるエネルギーの有難さを強く認識しているからだろう。
過酷な条件。この「条件」が五感を研ぎ澄まさせてくれる。私にとっては、この過酷な砂漠地帯が写真というものを通して自然と交わる接点を与え続けてくれている。
不安定な天候が続いていた5月に終わりを告げるかのように初夏の暑さを感じる天気が始まりました。とは言ってもコロラドは6月は雷雨の多い月。夏の天候としては過激な雷やどしゃぶり、そして雹や竜巻なども平野部では発生することがあります。でも、そんな季節の良さは「雲」たちの暴れぶりかなあ。青空で雲ひとつない日は写真撮影にはつまんない静かな情景になります。雲がブルースカイをキャンバスにして躍動感豊かに動き回る時、撮影時の構図に動きを与えてくれたり、光の強弱を活かしてくれたりします。
いつものごとくサンルイスバレーに出向いた時、砂漠地帯にある湖でペリカンの群れに会いました。標高2,300mほどの高地ですが渡り鳥のアメリカン・ホワイト・ペリカンはやってきます。背景のサングレ・デ・クリスト山系を背にしてなんとものどかな光景。しかし、この湖の周りは砂地の荒野。つまり砂漠地帯なんです。不思議な感じもしますが、そんな環境でありながらも動植物は順応性を持って生きているということに感動します。
山の麓にかすかに見えるのは我がホームグランドである撮影地、グレイト・サンド・デューンズ(大砂丘)です。いつ訪れても何かを魅せてくれる大自然の暖かさを感じます。何年通っても飽きない偉大さ、そして多様性を持った風景の中の命と変化が魅力。今日はどんなものを魅せてくれるのだろうと、いつも楽しみに足を向ける場所を与えられたことに感謝しながら、今年も自分の写真を通してできる役割を求め砂地を歩きます。これからの砂漠地帯は雷雲に気をつけないと命取りになりかねません。何しろ自分自身が突起物になりますから、避雷針ではなく落雷ポイントとして目立ってしまうようなところ。気を張って空の様子を伺いながら、風を読み、雲の流れと相談しながらポイントを探して撮影する季節。これもまあ撮影の醍醐味なのでしょうね。
制約を避けるのではなく、制約を受け入れることによって研ぎ澄まされる「気」は撮影にも生かされています。
4月。春のニュースが入ってくる中でコロラドは2週間位ほかの地方より遅れているのかもしれません。
緯度で言うと日本の仙台ほどの位置にあるのが、コロラド州のキャピタル(州都)デンバーですが、そこから約400キロほど南南西に行ったところにあるのが大砂丘です。標高2400メートルにあるということと大陸の内陸部にあるということもあってか、日本の季節の流れとはちょっと違ったものがあります。
冬に積もった雪が溶け出してメダノ(Medano)クリークが姿を現しています。この川は常に流れているのですが、水量が少ない季節は砂丘の下を流れていて姿はありません。この初夏に向かう季節は冷たい水がどこからともなく姿を現しては消えていきます。神秘的な生態系の営みがみられ、吹き上げ移動した砂が水で流し戻されるというサイクルにもなっています。上から流れるトウヒや杉のぼっくりや枯れ枝が含まれた水は、砂に栄養を与えないまでも森の恵を下に届けようと動き続けています。
4月も末だというのに氷点下。凍える指をこすりながら夕暮れを待っていると、舞い散る砂で少しかすんだそらが赤く輝きだし、空の色を反射してメダノクリークの水面を走る波たちが綺麗に輝いていました。
緯度で言うと日本の仙台ほどの位置にあるのが、コロラド州のキャピタル(州都)デンバーですが、そこから約400キロほど南南西に行ったところにあるのが大砂丘です。標高2400メートルにあるということと大陸の内陸部にあるということもあってか、日本の季節の流れとはちょっと違ったものがあります。冬に積もった雪が溶け出してメダノ(Medano)クリークが姿を現しています。この川は常に流れているのですが、水量が少ない季節は砂丘の下を流れていて姿はありません。この初夏に向かう季節は冷たい水がどこからともなく姿を現しては消えていきます。神秘的な生態系の営みがみられ、吹き上げ移動した砂が水で流し戻されるというサイクルにもなっています。上から流れるトウヒや杉のぼっくりや枯れ枝が含まれた水は、砂に栄養を与えないまでも森の恵を下に届けようと動き続けています。
4月も末だというのに氷点下。凍える指をこすりながら夕暮れを待っていると、舞い散る砂で少しかすんだそらが赤く輝きだし、空の色を反射してメダノクリークの水面を走る波たちが綺麗に輝いていました。
季節の変わり目の春。どこでもそうかもしれませんが、コロラドの春はあっという間に通り過ぎるようなイメージをいつも持つほど早く、そしてはっきりしません。それでも4月も中旬に入り草木の若葉が芽を出し始めています。
クラブアップルと呼ばれる姫りんごの仲間の樹が桜に似た花を開かせ始めました。昨日は24℃と、まだ冬の余韻を持っている身体には暑くさえ感じる気温でしたが、今日は何と午後から雪が降り出しました。数日前は25センチほど積もって、また暖かくなるということがあり、いわゆるジェットコースター気候が春の名物かもしれません。思えば、私が最初にデンバーに到着した1983年の4月には吹雪の出迎えにあい、ハイウエイをどこで下りたのかさえ分からないような視界の中でした。懐かしい思い出ですが、そのあとも春の天候は不安定で何が起こるか分からない故に、とんでもない光景を見せてくれたものです。
自然とは意思がないようで、ひょっとしたらあるのかいねえと思うこともあります。様々な命を育む地球が、忘れてはならないものを再認識するためのメッセージとして季節の流れを通して伝えようとしているのかもしれません。
ひんやりと外の景色をみていると、みるみる雪が積もっていきます。それでも冬の景色とは違い、すぐに解けて樹木に吸収され、近く新緑で周りが栄えることと思います。夏に向かって、また撮影も楽しみです。
そうそう、今年もペリカンが戻ってきました。近くのチェリークリーク湖では40〜50羽が集まっていました。もうすでに営巣しているのかなあ。また新しい命が生まれ、渡り鳥たちの流れを命の継承を通してつなげていくのでしょうね。
クラブアップルと呼ばれる姫りんごの仲間の樹が桜に似た花を開かせ始めました。昨日は24℃と、まだ冬の余韻を持っている身体には暑くさえ感じる気温でしたが、今日は何と午後から雪が降り出しました。数日前は25センチほど積もって、また暖かくなるということがあり、いわゆるジェットコースター気候が春の名物かもしれません。思えば、私が最初にデンバーに到着した1983年の4月には吹雪の出迎えにあい、ハイウエイをどこで下りたのかさえ分からないような視界の中でした。懐かしい思い出ですが、そのあとも春の天候は不安定で何が起こるか分からない故に、とんでもない光景を見せてくれたものです。
自然とは意思がないようで、ひょっとしたらあるのかいねえと思うこともあります。様々な命を育む地球が、忘れてはならないものを再認識するためのメッセージとして季節の流れを通して伝えようとしているのかもしれません。
ひんやりと外の景色をみていると、みるみる雪が積もっていきます。それでも冬の景色とは違い、すぐに解けて樹木に吸収され、近く新緑で周りが栄えることと思います。夏に向かって、また撮影も楽しみです。
そうそう、今年もペリカンが戻ってきました。近くのチェリークリーク湖では40〜50羽が集まっていました。もうすでに営巣しているのかなあ。また新しい命が生まれ、渡り鳥たちの流れを命の継承を通してつなげていくのでしょうね。

