わらじワールド
コロラド在住の写真家のブログ
一年間有難うございました
謹賀新年 20082007年もあとわずかで幕を閉じます。この一年は私にとってとても有意義な年でした。それは富士フォトサロンで写真展「大砂丘の声」を東京と名古屋で開催できたこともありますが、それよりも開催することによってわざわざ立ち寄って下さった方や、ご都合で寄れなかったことを悲しがらずに次を期待してくれた皆さんの存在を実感したことでした。写真展は決して一人ではできないものです。観てくださる方々が存在して初めて写真の命も生き続けます。

多くのファンの皆さんからのご期待を頂き、また多くの協賛者の皆さんのご支援をも頂き2008年春に写真集「大砂丘の声」を風景写真社より出版致します。写真展をご高覧頂いた皆さん、ご高覧できなかったけども話を聞いてご興味を御持ちの方々、是非お楽しみにしていて下さい。

2008年度も皆さんにとって有意義な一年でありますよう祈っております。来年度も宜しくお願い致します。

テーマ:年末&お正月 - ジャンル:日記

雪のロッキーでの乗馬
懇意にしている方が信頼して補助をさせてくれた視察ツアーの日程の中で、久しぶりに乗馬を楽しんできました。といっても雪の乗馬は初めてだったので騎乗からみる景色はとても新鮮でした。ロッキーの山々のエネルギーを感じるような素晴らしい景色と森の英気(雪に埋もれてはいますが)を浴びながらしっかりと写真撮影をしてきました。

自然の中をゆく、という感じがあって楽しめる乗馬とは言っても揺れる馬上からで手持ち撮影。うまく揺れるタイミングを計りながら水平にカメラを構えたり、後ろ向きにしてブラインドショットなどをして楽しんできました。

撮影も楽しかったのですが、騎乗で3回ほどフィルム交換した時は両手を離しての作業なので気を少しはりましたが、乗せてもらった馬が何か感じて気を使ってくれているように思えたので安心できました。

氷点下20℃。晴天で風がほとんどなかったとは言え、牧場に戻った時にはヒゲにツララがついていました。(笑)
生態系を知る必要性
私たち人間は、他の動植物と同様にこの与えられた環境の中で命を繋げてきました。しかし人間は自己中心的な行動をとるようになり、発展という言葉に驕り、独走態勢をとることによって環境のバランスを崩し続けています。

現在もわずかに残っている先住民と呼ばれるアマゾン奥地の原生林(ジャングル)で生活をするある種族は必要なものだけを狩猟や採集をすることで手に入れて消費し生き続けています。彼らは貯蔵庫というものを持たずに雨をしのぐためだけの構造の共同の家を作り、原始的な「神」を崇拝することによって自分たちの挙動を戒め抑えながら自然と協調して生きてきました。ある取材特派員が「食べ物がなくなったらどうするのですか?」と聞いていた場面がありますが、その時の返答が印象的でした。「必要なものがあれば森(ジャングル)が与えてくれる。」それは周りと協調して生活しているという具体的な意識であり、より深いところで無意識に周りと自分は一体化しているものであるという、生態系の一部としての認識が本能のレベルに明確にあるからだと思います。つまり生態系のバランスというものの大切さを誰に教えてもらうことなく認識し、それを超えてしまうことすら考えず、持ちつ持たれつで生き続ける全ての生き物たちと「同等に」生活しているということだと思います。他の生き物同様に彼らの廃棄、排出するものは全て土に戻ります。

頭脳と手先の器用さで長けている我々は他の仲間(生物)たちを突き放すようにしてエゴを通し、文明と呼ばれる技術を発達させることによって普遍性を武器に経済というモンスターを自分たちだけのために作り出し、そこに身を潜めることによってのみ満足感を持ってきたように感じられます。驕り自惚れて自分本位に生きる人間が引き起こしているアンバランスな環境や、それが引き起こしているであろう自然の調整プロセスが地球レベルで近年大きな変化を表し始めています。それは単に認識されるだけでなく大きな課題として今は何をおいても対応しなければならないレベルになっているのです。

アメリカではフロリダ州のEvergladesと呼ばれる大湿地帯に1900年代初めに開拓が始まり、多くのエリアが埋め立てにより住居や農耕地拡張のために開発されました。この巨大な湿地帯はフロリダ半島の水を海に届けるまでの最終通過帯としてスポンジの役割をしているばかりでなく、半島そのものの土壌の流失を防いでいる地域で、開拓によって破壊された生態系や地理的な形状が問題を起しました。現在はそれに気づいた団体や市民が最善を尽くして自然・環境保護活動をしていますが、自然が作り出した形状に手を加えることが如何に危険であるかを証明するような出来事でした。しかしながら、人間が引き起こしてきた自然界のアンバランスによって与えられた弊害は、人間社会では単に「被害総額」という金銭的な数字によって記録されるのみで、生息地をなくし、食物を奪われた生き物たちのことを言及することはないし、調べるすべもありません。河川周辺の沼地や水草地帯が増水時に水を吸い蓄えることによって洪水を防ぎ、ハリケーンなどの大雨の時に襲い狂う水や風の勢いを吸収していたことを知ったのは、灌漑施設開発や道路開発、生活環境の改善という名目でそれらを破壊してからのことです。植林にしても早く成長する針葉樹を植え、安く手に入る種類やそこになかった種類の樹木を植えたために土壌が弱くなり土砂崩れに繋がっている例は日本でも決して少なくないでしょう。安全のためだといって見通しを良くするために傾斜部の草や雑木を除去したために地表面が緩くなり雨に流されて地形に変化が現われたりしている例もあるはずです。

geese_9.jpgアメリカ中西部を横切るオレゴントレールと呼ばれる開拓者が使った街道があります。中西部のゆるい丘陵地の一部には湿地帯とまでよばれなくても数多くの大小の池や水溜りがありました。そこには季節の流れに応じて中継地または越冬地として渡ってくる水鳥たちが集まり、命の流れを繋げる重要な場所としての意味をも持っていました。しかし、人間の往来が増えるにつれ定着者たちが農耕地開発という目的のために水を抜き埋め立てました。それによって水鳥たちは下りる場所を失い、数を減らしていったことは確かです。水場は自然が作り出した造形物であり、それらに「合わせて」渡り鳥たちが移動ルートを与えられていたという見方をするのであれば、生態系における大変なダメージを人間は引き起こしたことになります。何においても現存するものは全てそれぞれの意味役割を持っているものです。渡り鳥のルートが変わることによって、場所によっては草が伸びすぎ虫が増えすぎるというような、広範囲に渡る大きな影響がでてきているのも確かだと思います。

自然への労わりが、生きるもの全てへの労わりであり、そこに存在する我々が決して忘れてはならない本能と同じものであると思います。しかしながら文明の発達によって、人間においても本能そのものが衰弱し消えていく恐れがでていると思います。「使わないものは退化する」という一つの事実を考えるならば、陸に上がった動物が泳がなくなったり、天敵がいないために飛べなく(必要がなく)なった鳥がいたり、誰もが頷ける事実が浮かび上がってくるはずです。

小さいことながら私も危機感を感じているのは、自分も依存しており、それなしでは仕事さえできないコンピューターの発達による思考機能の変化に関してのことです。変換ボタンを押すことによって表示され選択ができる漢字は、覚えることを退化させているように思えています。幼少の頃に100字詰原稿用紙に書かされた漢字は頭で考え、目で見て、手で書くことによって覚えました。これは頭、目、そして手を使う芸術家やチェスや将棋をする人にボケが少ないという点でも、記憶力を伸ばすだけでなく脳機能の維持をするということにおいても類似した接点があるのではないでしょうか。人間は、本能的に脳を活性化させるために視覚的情報(目)を必要とし、手足を動かすことによって脳の命令機能を潤滑化します。また、血液循環を健全に保つことによって新陳代謝を潤滑に行い身体機能を最良の状態に保とうとしますが、そんな当たり前に行われていることが、文明にとって代わられた場合には長期的にみて一体何が起こるのでしょう。これは人間という動物の身体という生態系におけるだけのことですが、忘れてはならないことだと思います。

使わないものは退化するという意味は、不必要なものは存在する意味がないという意味にも理解できます。しかし、自然は不必要になったものにさえ警告に似たものを発しているように見えることがあるのです。それは自然のバランスを崩し続けている人類に対するものです。

残念ながら多くの人間は物質主義の中で快楽を覚え、また物に依存しながらも物がなくなった時のことを考えて不安にかられ必要以上の貯蓄に走っています。経済はそれに応じて必要以上のものを作り流通機構を発達させてあちこちにばら撒き、あのアマゾンの先住民の言う自然との協調とは相反した自分本位な世界を作ってきました。自分で生態系を崩しておきながらも、まだ国のレベルで真剣に動こうとするものは少なく、目の前のご馳走だけを考えている輩がステージで踊る時代になってしまいました。

使わないものは退化します。他のものたちを巻き込むことは、生態系に生きる一生物である人間にとっては、聖域を侵すにも値するタブーなのではないでしょうか。もう少し高い位置から自分たちの存在の意味と位置を認識し、人間として存在することに誇りを持つ必要があると思います。我々が他を超越した知能と創作力などを持っているのは、与えられた「役割」を果たすためだと思うのです。

テーマ:自然を考える - ジャンル:ブログ

飛行機雲
plane_1.jpg先日越冬のために近所の湖に来ているホワイトペリカンやカナダ雁を撮影に出かけた時に、夕暮れが始まり、その時の夕焼けが燃える寸前の頭上の雲がピンク色になりました。徐々に夕焼けのそれに近い色に変化して燃えるようになっていくのが目で見ていて分かるほどの変化だったのですが、ちょうど通りかかったという感じで旅客機が飛行機雲を引きながら飛んできました。

普段ならこの手の光景を撮影することはまずないのですが、なぜかこの日は無意識に撮影をしなければならないような衝動にかられており、気がついたら望遠を上に向けてファインダーを覗いていました。この画像では分かりにくいですが、飛行機の機体が銀色に輝き、雲と同様に飛行機雲がやわく燃えるように色づいていました。背景の雲の形と色合いを計りながら、構図を整えて撮ったのがこの作品です。

一度機会があったら2L位に焼き付けて雲の質感と飛行機のシャープ度をみてみたいと思っていますが、時にはこのような撮影も与えられた機会だと思っています。

皆さんはどんな風にして撮っていますか?

テーマ:朝日・夕日の写真 - ジャンル:写真

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